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韓国に「日本特有」の前方後円墳があるワケ・・・・BOOKウォッチ編集部コメント・・Jーcast書評を評論する。

韓国に「日本特有」の前方後円墳があるワケって・・・誠に簡単な問いである。

和式の墓があるということは、そこが和人の生活圏であり、墓を作ったということである。
何も・・・・著者は「最難題」・・・とする必要なんぞないと思うのだが・・・相手は真面目な
専門家が専門家のスキルで書いたものだろうから・・・それに実物の本を読んでおらず、
書評で評論するという極めて失礼な暴挙でもあるが・・・・書評で評論すると書いたので・・・
続行いたします。



では、類書とどこが違うのかと言えば、著者の考古学者、山本孝文さんが比較的若い
ことだろう。1974年生まれ。しかも日韓両方で学び教えている。
「日韓両方で学ぶ」・・・・・・・・・
山本さんは日大文理学部を卒業後、韓国の釜山大学校大学院博士課程を修了、博士号を
取得した。高麗大学校で教え、2013年から日大文理学部で教授をしている。最近、日韓両方
で学ぶ考古学や古代史の研究者が増えているそうだが、山本さんもその一人なのだ。教授に
なるのも早く、気鋭の学者のようだ。

うーんん。頑張ってください。かな。

よく知られているように、前方後円墳は日本列島特有の形式。それが韓国側にもあるのは
どういうことか。一つの見方では、韓国側から日本に伝わったということがあり得るし、
もう一つは、逆に日本から流入したとも考えられる。近年の研究を踏まえ著者は、韓国側の
前方後円墳の出現が、日本列島よりも遅れていることは明らか、日本列島内部では弥生
墳丘から前方後円墳への連続性が確認できる、したがって日本の前方後円墳の起源を
外部に求める必要はないとする。

いやいや出現が遅れたのではなくてもともとそこに居たわけである。どうもこのあたり似た
ような論で、論理展開が間違っているとは思わないらしい。
墓を作ったぐらいであるなら、一族郎党が昔からそこに居たのだが素直な解釈であろう。
無理にさも突然出現したように論ずるのは、論理的ではない。


次に問題になるのは、韓国側の前方後円墳に埋葬されているのは誰かということ。在地の
首長説もあれば、海を渡った倭人説もある。著者は「最難題」としており、考古資料に基づいた
忠実な検討が必要、と冷静だ。

よくわからないのだが、なんでそれが「最難題」となるのかが不明である。
大きい墓を作ったのだから当地の首長クラスだろうし、別に海を渡る必要もないだろう。
もともとそこに居たのだから・・・。何故、よそから持ってこようとするのか不明であろう。

韓国側で見つかっている前方後円墳は、日本のものと比べると、中小型。しかし韓国側の
他の古墳と比べるときわめて大きい。韓国側の古墳の石室の壁は白く塗られていることが
多いが、韓国で見つかった前方後円墳の石室はたいがい、日本のものと同じく朱に塗られ
ている。しかし、対馬にはない前方後円墳が、なぜ韓国側に出現するのかという謎もある。

そもそも対馬には、前方後円墳を作るほどの開けた土地がないのだが・・・・・。
対馬に一度行くことをお勧めしたい。山だらけである。おまけに韓半島が見える。

従来の交流史研究では、高句麗、新羅、百済と倭国との関係が注視されがちだが、本書
では百済の南側に当たる「栄山江流域」について特にスポットを当てている。前方後円墳
が多いのも、この地域だ。古代の日本と最も関係が深い地域として、今後の研究が待たれ
るということがよく分かった。

だ・か・ら・・・・・半島南部は和人の生活圏である。一次史料もあるではないか・・・魏志倭
人伝にかいてある。半島南部は、「倭」と記述してある。なんで魏志倭人伝を読まないのかね。
韓人伝も同じ記述がある。

また、日本列島への渡来文化と、日本側から韓国に渡った倭系文物の違いも勉強になった。
前者は仏教や漢字や鉄生産、カマド付きの住宅など体系的・恒常的に流入して根付いた。
後者は断片的・散発的で定着しなかった。例えば、倭系の墓制は限定された一時期に現れ
消えたようだ。

なんで一時的に現れて消えるか・・・馬鹿げた話である。
この専門家たちの理論では、倭人が半島南部に住み着いていたとする「魏志倭人伝」を最初
からないことにしているのである。
普通は、当時の一次史料を当たるのが学者としての常道ではないのであろうか。

まずは、日本書紀、魏志倭人伝を当たるべきであろう。

さて、「書籍の「倭系の墓制は限定された一時期に現れ消えたようだ。」という設定そのものが
変なのである。倭人の生活圏が次第に南下させられ、半島から追い出されたと考えるべきであろう。

したがって、前方後円墳が消えたのは・・・
唐・新羅連合軍に敗れ、倭人の生活圏が、対馬まで下がったからである。
何故こんな簡単なことが分からないのであろうか・・・・・・・人材不足なのだろうか。

現に日本書紀に百済、高麗の帰化人の記述が大量にあるではないか。
斉明天皇は、当時の半島情勢を見て、悔し涙で崩御されたのではなかったのか。

書評を評論して見た。
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河野ななせ。

Author:河野ななせ。
そろそろ第二の人生設計をしようかと。
なかなかなあ。
多分、始まるかな・・。29年末。

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